アメリカの雑誌(5)執筆A.Y.》

VANITY FAIR(2)

時は流れ1983年、コンデ・ナスト社は、「ヴァニティ・フェア」の復刊を計画しますが、復刊第1号はまったくの不評で、その後編集長の交代劇が何度か演じられ、翌84年にティナ・ブラウンが編集長に就任、彼女の手によって初めて「ヴァニティ・フェア」は真の復刊を果たしたと言われています。

「雑誌は独自の視点を持たねばならないが、「ヴァニティ・フェア」においては、懐疑的でシニックであることだ」というのが彼女の編集方針でした。

原稿料にしても1語2ドルという高額を支払い、優秀な書き手を集めました。

こうして、ノーマン・メイラー、ウィリアム・バロウズなどの作家の原稿を掲載し、また、ヘルムート・ニュートン、アニー・ライボウィッツなど当代を代表する写真家の作品が毎号紙面を飾ることになりました。

「ニューヨーカー」や「エスクァイア」といった雑誌と「ヴァニティ・フェア」との相違点の一つが写真の扱いでしょう。

活字と同様に写真にも力を入れているという点は、クラウニンシールドの時代と共通するものです。

ティナ・ブラウンは、短い人物紹介記事や有名人のゴシップなどとともに有名作家の原稿を掲載し、次第に新しい雑誌の個性として、スノッブな香りを作り出していきました。

その洗練された記事内容は広告クライアントにも歓迎されたようです。

その広告ページを飾るのは女性ファッションや香水など明らかに女性誌のものですが、記事内容は特に女性を意識しているようには感じられません。

この雑誌がアメリカでは、女性誌と男性誌のどちらに見られているのか、不思議です。

また、セレブリティ志向も「ヴァニティ・フェア」の特徴ですが、編集長ティナ・ブラウンの手腕が冴えていたのは、単に有名人のゴシップを載せるだけではなく、洗練された写真ときちんとしたインタビューで構成していく手法をとったことです。

その彼女は、1992年には「ヴァニティ・フェア」を離れ、「ニューヨーカー」の編集長になっています。

(終)

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