文化の違い(2)執筆A.Y.

文化的基準が違うときには相手を自分が持っている価値観で批判しがちになります。

これは、異文化間の交流の現場で毎日起こっていることです。

だからこそ、異文化コミュニケーションのための英語について考えていかなければならないのです。

異文化に対する受けとめ方にはいくつかの段階があります。

この世の中には文化の違いがあるということすら思いもよらないというレベルに始まって、人それぞれに違った行動様式があるということに気づいてはいるが、自分たちの文化の絶対性については何の疑いも持たない段階があります。

ここでは、ほかの文化は当然自分たちに合わせるべきだと考えます。

この段階の人たちがいかに多いかは私たち誰もが経験的に知っています。

この段階では正反対の現象があります。

ある文化に出会ったときそれがすべてになって自分の文化まで否定してその文化の崇拝者になってしまうというものです。

英米の文化がすべてにおいてすぐれていると主張する人々はこの部類に入ります。

自文化がすべてだという人も、あるほかの文化がすべてだという人も、いずれもその背景には違った文化に対する恐怖心が存在するといわれています。

次に、違いには余り目を向けない、あるいは見えないで、自文化と同じところばかり見ようとする段階です。

人間みな同じという意識はときには必要ですが、そればかりになってしまうと、人それぞれに違った考えがあることを見失ってしまうことになります。

これでは、相手に受け入れられません。

ここまでが自文化中心主義(ethnocentrism)と呼ばれるものです。

これを乗り越えて、人それぞれに文化とか、行動様式、価値体系などには違いがあるということを認める段階、さらに、その違いに適応し、相手がどのような価値体系で行動しているかを感じ取りながらコミュニケーションを行う段階、そして、お互いが考えも価値体系も違うが、同じ重さを持った人間同士、どちらが正しくどちらが正しくないというのではなく、平等な仲間であるという認識を持って対等に行動できる段階に進むのです。

よく異文化理解というと、外国のさまざまなことに関する知識があるかどうかを基準に考えることがあります。

もちろん、知っているに越したことはありませんが、ただ知っているからといって異文化理解があるとはいえません。

文化の違いを超えて世界のグローバル化が進むにつれて、かえってそれぞれの文化の差異が顕在化しつつある現在、私たちに必要なことは、異文化の存在を認め、ゴリゴリの自分文化中心でもなく、また相手の文化中心でもない適切な対応ができる、つまりethnocentrismの段階を乗り越えることができるように努力することと言えるでしょう。

(終)

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