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日本人の英語コンプレックス編集A.Y.》

周りの人が「できる」と思っていても、本人が自分は英語が「できる」とは思っていない、こういう日本人は結構多いようです。

どうしてなのでしょうか。

日本人の多くは中学から英語を学びます。

中学にもなると、他教科は日本語で知的レベルに見合った、考えさせられる学習をしているのに、英語はまったくの初歩からの出発なので、教材の多くが学習者の知的レベルに合わない場合が多いのです。

そうなると、英語という教科は単語や文法事項を覚えるだけのつまらないものとなります(ここに英語嫌いを生み出す原因のひとつがあることは言うまでもありません)。

できる生徒ならなおさらそのような授業には耐えられません。

高校生や大学生になって考える力が増せば増すほど単語・熟語や文法・構文を覚えるだけの授業には興味を失います。

暗記してそれなりに点数は取れても、いったい何のために英語を勉強しているのだろうという焦燥感に襲われます。

「これはあくまでも受験勉強であって本当の英語の勉強ではない」という意識が生まれ、焦燥感や嫌悪感がいっそう強められます。

つまり学習の到達点が見えないのです。

こんなことを覚えても何になるのだろう、どうせ受験に必要なだけだと思いながら、一方、受験勉強が終わってそれから本当の英語の勉強が始まるとしたら、いつまで続ければ英語がマスターできるのかまったく見通しが立たず、途方に暮れてしまうのです。

英語のみならず語学はできればできるほど、常に劣等感との闘いと言えるかもしれません。

つまり勉強に際限がないのです。

どこまで読めれば読めたことになるのか、どこまで聞けたら聞けたことになるのか、どこまで話せたら話せたことになるのか、どこまで書けたら書けたことになるのかが、はっきりしないし、わからないのです。

英語は、どこまでわかれば「できる」と実感できるのかがはっきりしないものなのです。

美術は誰もが画家のように描ける必要はないし、音楽は誰もがピアニストや声楽家でないことは当然ですし、体育でも誰もが100メートルを10秒で走れるはずはありません。これは誰の目にもはっきりしています。

しかし、英語だけは違うのです。

英語で書かれているもの、英語で話さるものはすべてわからなければ、英語ができないことになってしまうのです。

一般的にはそのように考えられています。

英語のプロである同時通訳者が専門分野の通訳をするときには専門用語を十分に勉強してから臨むことなど、ほとんど考慮されていないようです。

英語だけは誰もがピアニストや画家であることを要求されている、あるいはそう錯覚してしまうのです。

しかし現実には、日本語で書かれたり話されていても、何のことかわからないことが多いはずです。

例えば毎日のTVニュースや新聞の記事は日本語でありながら、あまりよく理解できないものもあります。

日本語で話されているのでわかったような気分になっていますが、実は内容がわかっていないことに気づいていないだけなのです。

このように、日本人だからといって日本語がすべてわかるわけではないし、それでも十分日本語で生活できています。

外国語としての英語は当面どこまでわかれば「できる」ことになるのか、ということをはっきりさせなければ、英語に対するコンプレックスを減らすことはできないのではないでしょうか。


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